こんにちは。プロレス話継 運営者の「リングサイドのワケイ」です。皆さんは、今やスターダムの「白いベルト」王者として君臨する小波選手について、もっと深く知りたいと思ったことはありませんか。特に最近ファンになった方だと、小波のプロレスの昔の姿や、かつての師匠との師弟関係、さらには一度スターダムを離れた退団理由などが気になっているかもしれませんね。
広島出身の小波選手がいかにして女寝技師と呼ばれるようになったのか、そのルーツを探ると今の試合がもっと面白く見えるはずです。朱里選手との複雑な関係や、かつての名前にまつわるエピソードなど、昔の小波選手を知ることで、今の彼女の凄みがより一層伝わってくるかなと思います。この記事を読めば、小波選手の10年にわたる軌跡がスッキリと理解できるはずですよ。
【最短5秒でわかる】小波(KONAMI)激動の経歴年表
- 2014年: **華名(現:ASUKA)**の練習生第1号となる。
- 2015年: 18歳でデビュー。直後に華名選手と師弟関係を解消。
- 2016年: リングネームを剥奪され**「琥鳴魅(こなみ)」**へ改名。
- 2018年: スターダムへ正式入団。
- 2019年: 木村花選手らとユニット「TCS」で大ブレイク。
- 2020年: TCSを自ら解散させ、ヒールユニット「大江戸隊」へ。
- 2021年: 内臓疾患の治療に専念するため、スターダムを一度退団。
- 2024年: スターダム再入団。師匠・朱里選手を裏切り悪の道へ。
- 2025年: **ワンダー王座(白いベルト)**を初戴冠。
- 2026年: 絶対王者として防衛ロードを独走中。
- 小波選手が「女寝技師」と呼ばれるようになった格闘技のルーツと師匠たちの存在
- リングネーム剥奪事件や「琥鳴魅」(こなみ)時代など苦難のキャリア初期のエピソード
- スターダム退団の真相となった体調不良の経緯と再入団までのドラマ
- 現在のヒールユニット「H.A.T.E.」での立ち位置とシングル王座戴冠の重み
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小波のプロレスで昔の師匠から継承した格闘技術の原点
小波選手の試合を観ていると、他の選手とは一線を画す「本物の極め」を感じますよね。その独特なスタイルがどこで形作られたのか、デビュー前から初期の師弟関係にスポットを当てて振り返ってみましょう。
華名の一番弟子として歩んだ小波のプロレスと昔の絆
小波選手のプロレス人生は、まさに運命的な出会いから始まりました。中学生の時に地元・広島で観た華名(現:WWEのASUKA)選手の試合に衝撃を受け、彼女に弟子入りすることを決意したんです。高校卒業後、単身で上京した小波選手は、華名選手の個人事務所「オフィス華名」の練習生第1号となりました。2015年のデビュー戦の相手も師匠である華名選手で、厳しい攻めに涙を流しながらも食らいつく姿は、今でもファンの記憶に新しく刻まれていますね。この時期に叩き込まれたプロレスの厳しさが、今の彼女の骨格を作っているのは間違いありません。
藤井惠の指導で磨いた小波のプロレスと昔の格闘技修業

「女寝技師」の異名を持つ小波選手ですが、その寝技の基礎はプロレスのリングに上がる前に徹底的に鍛え上げられたものです。師匠である華名選手の方針で、デビュー前から地元の格闘技ジム「BURST」にて、元総合格闘家の藤井惠選手から直接指導を受けていたんですよ。ここで学んだ柔術や関節技の技術が、小波選手のスタイルに圧倒的な説得力を与えています。単なるプロレスの形だけでなく、「相手を本当に仕留めるための技術」を10代の時期に習得したことが、小波選手の最大の強みと言えるでしょう。2023年には本名の「竹本小波」としてアマチュア修斗の大会に出場するなど、今でもその探究心は衰えていないようです。
朱里との出会いで進化した小波のプロレスと昔の師弟関係

華名選手がWWE参戦のために渡米し、師弟関係が解消された後、孤独だった小波選手を救ったのが朱里選手でした。華名選手から「小波を頼む」と託された朱里選手は、技術面だけでなく精神面でも彼女を支え続けました。朱里選手は、慣れない環境で孤立しがちだった小波選手を食事に誘ったり、悩みを聞いたりと、まるで本当の姉のように接していたそうです。この二人の絆は、後にスターダムのユニット「God’s Eye」で結実しますが、そこに至るまでの「恩讐を超えた師弟愛」は、女子プロレス界でも屈指のドラマチックな物語ですね。朱里選手から継承した打撃の鋭さと、折れない心が今の小波選手を支えています。
田中稔に師事し極めた小波のプロレスと昔の関節技技術
サブミッションの精度をさらに一段上のレベルへと引き上げたのが、田中稔選手への師事です。2016年頃から田中稔選手に教えを請うようになり、複雑な足関や腕の取り方をマスターしていきました。小波選手の代名詞である「トライアングル・ランサー」などの独創的な関節技には、田中稔選手の緻密な技術論が反映されています。ただ力で極めるのではなく、テコの原理を利用した動きを追求する姿勢は、まさに職人芸。彼女の試合を観る際は、一瞬の隙を突いて相手の自由を奪う、その魔法のような手捌きに注目してほしいですね。
広島県立松永高等学校時代に見せた小波のプロレスと昔の素顔
リング上では冷酷な「サブミッション・スナイパー」ですが、学生時代は意外な一面を持っていました。地元の広島県立松永高等学校に通っていた頃は、なんと生徒会副会長を務めていたそうです。真面目で責任感が強く、保育所でのインターンシップも経験するなど、プロレスラーとしての激しい姿からは想像もつかないような穏やかな青春時代を過ごしていました。しかし、その内面には「プロレスラーになる」という熱い志が常にあったわけです。ちなみに、彼女の祖父は福山を代表する写真家である竹本勝治氏。細部へのこだわりは、こうした家庭環境からも育まれたのかもしれません。
琥鳴魅への改名から小波のプロレスを昔の名前を戻すまで
キャリア初期のREINA所属時代には、過酷な試練も経験しています。試合のルールに敗れ、リングネームの「小」を失って「波」になり、さらに敗れて名前そのものを失うという時期がありました。名前を失いどん底にいた彼女に、特攻服と「琥鳴魅(こなみ)」という名前を与えたのが、宮本裕向選手でした。
この琥鳴魅時代には、蛍光灯デスマッチにも挑戦するなど、文字通り体を張った戦いを続けていたんです。
当時の漢字表記のリングネームは、今の彼女の芯の強さを育むための重要な通過点だったと言えるでしょう。その後、フリーを経てGPSプロモーションに所属するタイミングで、再び馴染み深い「小波」へと戻りました。
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小波のプロレスを昔から支えるユニット変遷と退団の真相
スターダム参戦後の小波選手は、いくつものユニットを渡り歩きながら、その存在感を増していきました。華やかな時代の裏にあった悲しみや、決断の理由について詳しく紐解いていきましょう。
木村花と小波のプロレスが昔築いたTCS時代の栄光
多くのファンにとって、小波選手の最も輝いていた時期の一つが「TOKYO CYBER SQUAD(TCS)」での活動でしょう。リーダーの木村花選手、そしてジャングル叫女選手と共に、自由なスタイルを貫いたこのユニットは、女子プロレス界に新しい風を吹き込みました。小波選手はここで、格闘家としてのシリアスな面だけでなく、仲間と楽しそうに笑う等身大の姿を見せてくれました。木村花選手とはプライベートでも大親友で、互いに高め合う素晴らしい関係でしたね。「イエッサー!」の掛け声と共にリングを席巻したあの光景は、今でもファンの胸に刻まれている大切な思い出です。
ユニット解散と大江戸隊入りした小波のプロレスの昔の決断
しかし、木村花選手の急逝により、TCSは大きな転換点を迎えます。2020年10月、ユニットの存続を賭けた試合で、小波選手はあえて味方のジャングル叫女選手を裏切り、大江戸隊へ電撃加入しました。この行動にショックを受けたファンも多かったですが、その真意は「木村花選手がいないTCSをこれ以上引きずらせない」という、彼女なりの深い愛だったことが後に明かされています。自ら悪役を演じることで、亡き友との思い出を区切り、新しいステージへと進むための断腸の思いだったのでしょう。ここから「悪の女寝技師」としての新たな快進撃が始まりました。
急性腸炎による欠場と小波のプロレスが昔選んだ退団理由
2021年末、小波選手は突故としてスターダムからの退団を発表します。直接的なきっかけは、大阪城ホール大会を欠場する原因となった急性腸炎でしたが、公式発表や本人の会見によると、それ以前から2年ほど内臓疾患による体調不良に苦しんでいたそうです。リング上では完璧な動きを見せていましたが、裏では体が限界に近い状態だったんですね。
プロレスラーとしてのキャリアを守るために、一度立ち止まって治療に専念するという苦渋の選択でした。退団試合でジュリア選手と拳を交わし、木村花選手の得意技を披露した姿には、多くのファンが涙しました。
GodsEye加入から小波のプロレスが昔の悪へ戻る道

2024年4月に正式にスターダムへ再入団した小波選手は、当初、恩師である朱里選手率いる「God’s Eye」に合流しました。朱里選手との最強師弟コンビ復活に多くのファンが歓喜しましたが、2024年7月、彼女は再び朱里選手を裏切り、大江戸隊(現:H.A.T.E.)へと戻りました。この裏切りの理由を彼女は「朱里選手に甘えないため、敵として向き合うことが最大の恩返し」と語っています。馴れ合いを嫌い、常に厳しい環境に身を置いて自分を高めようとする小波選手らしい、ストイックな選択と言えるかもしれません。現在の彼女は、より一層冷徹な戦いを見せています。
ワンダー王座を戴冠した小波のプロレスの昔と今の到達点

そして2025年11月3日、小波選手はついにスターダムのシングル至宝の一つであるワンダー・オブ・スターダム王座(白いベルト)を戴冠しました。スターライト・キッド選手との激闘を制し、自らの腕一本で頂点に立った姿は、10年にわたる彼女の歩みが正しかったことを証明しました。昔の「一番弟子」と呼ばれていた少女は、今や格闘プロレスの頂点に立つ唯一無二の存在となりました。
多彩な関節技のバリエーションと、一瞬で試合を終わらせる決定力は、今のスターダムにおいて最大の驚異となっています。飯田沙耶選手や吏南選手といった強敵を次々と退け、その政権は盤石なものになりつつあります。
まとめ:小波のプロレス!昔の師匠や退団理由、現在の活躍まで徹底解説
ここまで小波選手の激動の歩みを振り返ってきましたが、いかがでしたか。広島での運命的な出会いから、華名選手・朱里選手・田中稔選手という偉大な師匠たちとの絆、そして苦難の退団を経ての王座戴冠。小波のプロレスの昔を知ることは、彼女がいかに誠実にプロレスと向き合ってきたかを知る旅でもありました。彼女の決め台詞である「ジ・エンド」は、決して終わりを意味するのではなく、常に新しい伝説の始まりを告げる言葉なのかもしれません。これからも「世界の女寝技師」として、私たちにどんな衝撃的なサブミッションを見せてくれるのか、楽しみで仕方ありませんね。なお、最新の試合結果については、必ずスターダム公式サイトでチェックするようにしてください。彼女の戦いは、これからもリングサイドで語り継がれていくことでしょう。
この記事は2026年現在の情報を基に構成しています。プロレスラーの所属状況は流動的ですので、最新の動向は公式発表をご確認ください。また、本記事の内容は筆者個人の見解に基づくものであり、正確な情報は公式サイトをご参照ください。
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小波選手の歩みと技術に関するQ&A

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